大学1年生でデザイン会社「OHAKO」を創業。元デザイン会社経営者に聞くキャリア

新しい興味と挑戦が、次の新しい機会を生む ──フリーランスデザイナー菊地涼太

高校時代からデザイナーとしての経験を積み、大学1年生でデザイン会社「OHAKO」を創業。6年間代表を務めた後、再びフリーランスの道を選んだ、菊地涼太さん。 高校時代からインターンで経験を積み、大学入学後すぐフリーランスとして活動を開始、数十人規模のデザイン会社を形にするなど、戦略的に道を切り開いてきたように見える菊地さんですが、「偶発的なものや、自分の興味や『楽しい』という気持ちに従った結果」今があるといいます。 その道筋と、“デザイナーとして”どうキャリアを考えてきたかを伺いました。

公開日:2020/09/08最終更新日:2020/09/08



1.自分の興味に従う

菊地さんがデザインに出会ったのは、高校生のころ。きっかけはスマートフォンアプリの登場にありました。

菊地さんがスマートフォンを初めて手にした2010年頃は、スマホアプリ市場が盛り上がりはじめ、日々見たことのないようなアプリが生まれ続けた時期。新たなアプリをダウンロードすれば、新しい経験ができる。その新鮮さに魅了され「アプリを作ること」に興味を持ち始めたといいます。

菊地「純粋に『アプリが作れたらかっこいいし、すごく楽しそう』と思ったんですよね。まずはプログラミングを勉強してみたんですが、すぐに挫折。他にやれることはないかといろいろ調べる中で出会ったのが、Webのデザインだったんです」

ただ、当時はまだまだオンライン上には体系的な情報はなく、菊地さんは書籍から情報をインプットしつつ、手を動かしてデザインを覚えていきました。

菊地「幸い、僕には明確に作りたいものがあったので『それをどうしたら実現できるのか』を意識しながら、調べて形にするというのを繰り返していきました。当時は、精度の高い情報といえば本でしたが、今はツールの使い方一つとっても、サービスやYouTube動画などさまざまな学び方がある。より学びやすい環境になっていると思います」

デザインを学び始めた当時に手がけたサイト

当時手がけたサイト

デザインを習得する上で、菊地さんは「Twitterが役に立った」といいます。その理由は、知識のインプットではなく、人とのつながりにありました。

菊地「作ったデザインを『こんな感じのデザインをしてみた』とか『こんなサイトのデザインはどうだろう』とTwitterにアップしていたんです。そうすると、いい意味で“普通じゃない人たち”と出会えるようになったんです。特に、同世代でデザインやプログラミングをやっている人との出会いは自分が学ぶ上でも刺激になりました」

そうした出会いの中で、「高校生の時にデザイナーインターンをしていた」という人がいたことをきっかけに、実務にも興味を持った菊地さんは、Twitterで仲良くなった先輩の誘いで、事業会社でのインターンを経験。高校生ながら社会人に混ざり、業務としてのデザインを経験していきます。

菊地「クライアントワークのWebデザインから営業同行まで、ありがたいことに本当にいろいろな経験をさせてもらいました。名刺の渡し方ひとつからデザインまで、デザイナーの基礎を学んだ場ですね」

2.学生起業。がむしゃらに走り続けた日々

大学進学後もインターンでWebデザインやUIデザインを経験。大学1年の夏からはフリーランスのデザイナーとして、個人でも仕事を請けはじめるようになります。

しかし、その中で個人の限界を早々に感じたという菊地さんは、大学1年の12月に友人とともにUIデザインカンパニー「OHAKO」を起業しました。

菊地「当初はシンプルに、会社にして仲間を集めれば、デザインだけでなくアプリ制作全体を請け負えると思ったんです。『なぜ大学1年で?』とよく聞かれるのですが、僕からすればそのタイミングが一番リスクがないと思ったからです。就職活動が始まる3年生までは時間の猶予もありますし、失敗しても普通に就職すればいい。自分にとっては“やるなら今かな”という気持ちでした」

会社をはじめるとソニーや富士通、Amaziaなどの上場企業のクライアントも獲得し、予想以上に忙しい日々となり、菊地さんは3年次に大学を中退。経営者としての道に専念する決断をします。OHAKOはその後も順調に成長を続け、3年目の2015年にはベンチャー企業との資本業務提携を経て子会社化。より強固な基盤の元拡大を志します。しかし、創業からの道のりは、決して平坦ではありませんでした。

菊地「高校生からデザインを学び、フリーランスをはじめ、起業し、仕事が増えたら人を採用し、組織が大きくなって…。がむしゃらに走り続けていた感じでした。メンバーや仕事が増えれば責任も増します。会社の存在意義も明確にしなければいけないですし、マネジメントの重要性も高まる。失敗や挫折も数多く経験しました」
 

3.「半分挫折、半分挑戦」の決断

そして創業から6年目の2019年4月、菊地さんはOHAKOの代表を退任。自分が立ち上げた会社を去り、フリーランスのデザイナーへと戻りました。その意思決定を「挫折半分、挑戦半分」と語ります。

菊地「最後の1年はマネジメントをメインにしていましたが、このまま経営者としてやっていくか、デザイナーとしての自分を大切にするか、葛藤する部分がありました。自分の経験やタイミングを省みたとき、ここで一度デザイナーに戻ってみようと思ったんです」

退任後は、複数のスタートアップに対してデザイン支援を行いながら、この6年間の経験を棚卸しし、自分のスキルセットやモチベーションの源泉を整理することに時間を割いていきました。

菊地「あの時こうすれば良かったのかもしれないとか、どこがターニングポイントだったとか、自分自身の選択を振り返った1年でした。その中では、自分自身が一番楽しいのは“議論を重ねながら事業・サービスを作りあげるプロセス”だと改めて気づくこともできた。今後は新たな事業を立ち上げ、今回の選択を30歳までに正解にしようと思っています」

4.新しい機会が生まれるサイクルを大切に

デザイナーとしての経験、起業家としてのビジネス経験、両方を重ねてきた菊地さん。その経験から、デザイナーに求められる価値観やスキル、学びを聞くと、「デザイナーがビジネス視点をもつことが今後重要になる」と教えてくれました。

菊地「最近では、ノーコード系のサービスが多く出てきていますよね。多少のものであればデザイナーもエンジニアも必要なく、ビジネスサイドの人たちだけで作れるようになりました。つまり“作るだけ”のデザイナーは必要とされなくなってきている。デザイナーが必要とされ続けるには、自らビジネスに興味を持ち、そこへオーバーラップしていくことが重要なのではないかと考えています」

そして、デザインの学び方について「自分のモチベーションが続く形で続けることが大切」と言葉を続けます。

菊地「僕の場合は、インプットとアウトプットをセットにし、無理のない形でコツコツ続けてきたことが良かったと考えています。アウトプットを見てもらう機会を意識的につくり、それを見た人から声をかけてもらって、仕事が生まれて…というサイクルが上手くつながりました。新しい機会がまた次の新しい機会を生むと楽しいですし、成長にもつながりますから」

自身も、無理に突き進まず、デザインと向き合ってきたという菊地さん。何かと比較した時に成果が出ないから…とデザインの道を諦めてしまうのは、もったいないことだと最後に話しました。

菊地「僕は『自分が作ったもので、誰かに喜んでほしい』という純粋な動機からデザインを始めたから、今まで続けてこれました。これが例えば、『半年学んでデザインの仕事が受注できるようになるんだ』『3カ月でこのレベルまでいくんだ』というところからスタートしていたら、今はないと思うんです。

もちろん、それがモチベーションにつながる人であればいいと思うんですが、目標一つ取っても、無理のない範囲でインプットとアウトプットを継続できる範囲でないと、成果は出ません。自分の楽しいという気持ちや、新しい機会が生まれるサイクルを大切にしながら、学び続けられるといいですよね」

[写真]今井駿介[文]佐藤由佳[編]小山和之